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東京高等裁判所 平成元年(ネ)3095号 判決 1991年3月14日

控訴人 株式会社フラッグス

右代表者代表取締役 松永肇

右訴訟代理人弁護士 吉羽真治

右訴訟復代理人弁護士 氏家茂雄

被控訴人 株式会社ノバハウジング

右代表者代表取締役 高見澤威夫

右訴訟代理人弁護士 渡邉栄子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、三億円及びこれに対する昭和六三年六月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被控訴人

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  控訴人と被控訴人とは、昭和六一年六月一三日、次のような内容の売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結した。

(一) 売主 被控訴人

(二) 買主 控訴人

(三) 売買物件 別紙物件目録記載の土地建物(以下「本件土地建物」という。)

(四) 売買代金 六億二一九〇万円

(五) 代金支払時期

契約締結日 手付金二〇〇〇万円

昭和六一年七月九日 中間金四億七七五二万円

昭和六二年三月一五日 残金一億二四三八万円

(六) 所有権は、右中間金の支払と同時に控訴人に移転するものとし、被控訴人は、昭和六二年三月一五日に売買残代金の支払と引き換えに本件土地建物を引き渡す。

2  控訴人は、被控訴人に対し、前記手付金二〇〇〇万円と中間金四億七七五二万円の合計四億九七五二万円を支払い、昭和六一年七月一〇日、本件土地建物につき所有権移転登記を得た。なお、本件土地建物は、被控訴人が親会社である株式会社ノバ(以下「ノバ」という。)から買い受け、控訴人に売り渡したものであるが、その所有権移転登記は、ノバから直接控訴人に対してなされた。

3  控訴人と被控訴人とは、被控訴人が本件建物の賃借人を立ち退かせることができなかったため、昭和六二年六月三日、控訴人が本件建物の賃借人の明渡問題を解決する(すなわち現況居抜きのまま本件土地建物の引渡しを受ける)代わりに、被控訴人は控訴人に対し残代金一億二四三八万円の支払を免除する旨合意した(以下「本件合意」という。)。

4  そこで、控訴人が本件建物一階の賃借人であるミカド工業株式会社(以下「ミカド工業」という。)及び二階の賃借人に対し、建物明渡しの交渉に入ったところ、ミカド工業は、本件土地建物の元の所有者(ノバの前所有者)であった正田喜一(以下「正田」という。)が依然本件建物の所有者であると主張していることを理由に、明渡交渉を拒否して賃料の供託をし、他の賃借人は、正田に対して賃料を支払い続けた。

のみならず、正田自身も、ノバに対する本件土地建物の売渡しが無効であるから所有権を失っていないと主張し、本件建物の二階の一角を占拠し絶対立ち退かない姿勢を示した。そして、正田の死亡後同人の相続人は、平成元年八月、ノバ及び控訴人を被告として、本件土地建物の所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴訟を提起し(東京地方裁判所平成元年(ワ)第一〇四三六号事件)、本件土地建物について予告登記がなされて、控訴人の権利行使が事実上不可能となった。

このような状態は、被控訴人の本件売買契約における売主としての債務の不完全履行というべきであり、被控訴人は、正田側との係争を早急に解決して完全な履行をすべきものであったところ、平成二年一一月九日に至り、前記訴訟において正田のノバに対する売買の効力を認める内容の訴訟上の和解が正田の相続人とノバとの間に成立し、控訴人に対する訴えは取り下げられた。これによってようやく正田側との間の係争が解決し、控訴人に対して完全な履行がされたことになった。

5  控訴人は、被控訴人の前項の不完全履行によって、次のとおり合計四億五一一五万一一一三円の損害を被った。

(一) 不完全履行中に転売が不可能になったことによって失った得べかりし利益 二億六九四九万円

控訴人は、株式会社サムエンタープライズに本件土地建物を代金七億六七〇一万円で売り渡す約束をしていたが、被控訴人の不完全履行により右転売ができなくなった。被控訴人は、本件売買契約の締結時に右転売の事情を知っていた。

(二) 売買代金の金利負担分 一億七〇三一万五一五五円

支払ずみの売買代金四億九七五二万円を借り受けた第一住宅金融株式会社に対して、昭和六一年七月九日から平成二年一一月九日までの間に支払った利息分である。

(三) 昭和六一年度から平成二年度までの本件土地建物に対する固定資産税及び都市計画税 九七万六四六三円

(四) 昭和六一年七月一〇日から平成二年一一月九日までの間に控訴人が取得すべき本件建物二階部分の賃料相当額 一〇三六万九四九五円

控訴人は、正田の相続人を被告として本件建物の明渡しを求める訴訟を提起し(東京地方裁判所平成元年(ワ)第一一八八二号事件)、平成二年一二月一七日に訴訟上の和解を成立させたが、右和解では、昭和六一年七月九日以降の一か月一九万九五〇〇円の割合による本件建物二階部分の賃料相当損害金の支払を免除せざるを得なかった。

6  よって、控訴人は、被控訴人に対し、前記債務不履行による損害賠償として、右損害のうち三億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六三年六月一七日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は認める。

4  同4のうち、正田の相続人がノバ及び控訴人に対して控訴人主張のような訴訟を提起し、本件土地建物について予告登記がなされたこと、右訴訟においてノバと正田の相続人との間に控訴人主張のような訴訟上の和解が成立し、控訴人に対する訴えが取り下げられたことは認めるが、右訴訟提起までの経過等は不知、その余は争う。

5  5は争う。

三  抗弁

控訴人と被控訴人との間に昭和六二年六月三日成立した本件合意は、本件土地建物について正田と被控訴人との間に紛争が存在することを控訴人において認識したうえで、本件土地建物の明渡問題だけでなく、所有権の帰属問題も含めて本件売買契約に基づく被控訴人の一切の責任を免除する趣旨で合意したものである。

四  抗弁に対する認否等

抗弁事実は否認する。

本件合意が所有権の帰属問題についての被控訴人の責任を免除する趣旨までも含むものであるとすれば、その部分は錯誤により無効である。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1の事実(本件売買契約の成立)、同2の事実(売買代金の一部支払と所有権移転登記)及び同3の事実(本件合意の成立)は、当事者間に争いがない。

二1  被控訴人は、本件土地建物の売主として、控訴人に対し、その引渡義務を負う。そして、その引渡しは、本件合意により、本件土地建物を現状居抜きのまま引き渡せば足りることになったものであり、《証拠省略》によると、被控訴人は、本件合意の成立後、本件土地建物を現状居抜きのまま控訴人に引き渡したと認められる。その限りにおいて、被控訴人に引渡義務の不履行があったとは認められない。

2  また、被控訴人は、控訴人に対して本件土地建物の所有権を移転し、その移転登記手続をする義務を負うものであるところ、前記の当事者間に争いのない事実によれば、控訴人は、被控訴人に対し本件売買代金の中間金を含め四億九七五二万円を支払ったことにより、本件土地建物の所有権を当然に取得したことになるものであり、これに基づいて控訴人のための所有権移転登記も履行されたことが明らかである。

もっとも、《証拠省略》によると、本件土地建物の元の所有者であった正田は、右所有権移転登記後において控訴人の所有権の取得を争い、正田が依然その所有者であると主張していたこと、その主張の理由は、正田が本件土地建物をノバに売り渡したのは、本件土地とその隣地をノバに提供してマンションを建設してもらい、その一部を等価交換により取得するためであり、本件土地建物は第三者に転売しない約束であったのに、ノバが右契約に違反して転売したから、売買の効力がなくなったというものであったこと、そして、正田の死亡後その相続人は、ノバ及び控訴人らを被告として、正田からノバに対する右売買の不存在ないし無効を原因とする所有権移転登記等の抹消登記手続を求める訴えを提起したことが認められ(右訴訟提起の事実は、当事者間に争いがない。)、《証拠省略》中にも正田の右主張にそう趣旨の供述又は記載がみられる。しかし、正田とノバとの間の売買契約書には、正田が主張するようなマンション建設の約束や第三者に対する転売禁止の約束の存在をうかがわせる文言は全く見当らず、他に右約束の成立を客観的に裏付ける証拠がないのに加え、右訴訟が、正田からノバに対する売買の効力を認める内容の和解及び訴えの取下により終了した事実(この事実は当事者間に争いがない。)をも考え合わせると、前掲各証拠をもって、正田が主張するような約束が成立したと認めることはできない。したがって、正田が本件土地建物の所有権の帰属を争っていたことから、被控訴人の控訴人に対する右所有権の移転そのものが不能であったと認めることはできない。

三  ところで、控訴人の本訴における主張は、右のように控訴人が本件土地建物につき被控訴人から引渡及び所有権の移転(その旨の登記)を受けたものの、元所有者である正田が所有権を主張したため、これに同調する賃借人と正田本人を本件建物から退去させることや賃料の支払を受けることが困難になり、また、正田の相続人の前記訴訟の提起により予告登記がされたため、転売等の所有権の行使が事実上阻害されたことをもって、売主たる被控訴人の債務の不完全履行であるというものである。

1  売買の目的物につき権利を主張する第三者があって、買主が買い受けた権利を失うおそれがあるときの売買当事者の関係について、民法は、その危険の限度に応じて買主が代金の全部又は一部の支払を拒むことができる旨定めているのみである(五七六条)。売買の目的物について第三者から権利主張がされ、それによって買主が不利益を受けることになった場合でも、当然には売主に債務不履行の責任が生じるものではないが、当該売買契約の内容又は趣旨から、目的物について権利主張者のないことを売主において保証し、あるいは権利主張があった場合に売主においてこれを排除することを約していると認められるときは、第三者の権利主張により生じた買主の不利益について売主の責任が問題になりうるものと解される。また、右権利主張がされたことについて売主に帰責事由があるなど、信義則上売主の債務不履行と同視できるような特段の事情があるときも同様と解される。

2  そこで、この見地から検討するのに、《証拠省略》によると、控訴人と被控訴人との間の本件土地建物に関する売買契約書の第八条は、「売主は本件土地建物上に抵当権、質権、先取特権、賃借権その他本件土地建物の完全なる所有権の行使を阻害する権利又は未払金があるときは、所有権移転登記申請のときまでに売主の費用と負担をもって、これを完全に除去しなければならない。」と定めていることが認められる。しかし、右条項が、一般の不動産売買で例文的に慣用されるものであり、「所有権の行使を阻害する権利があるとき」との文言が用いられていることにかんがみると、そのような権利の負担がないことを保証したにとどまらず、およそ一切の権利主張のないことまでを被控訴人において保証したものであると理解することには疑問の余地がある。

のみならず、《証拠省略》によると、本件売買契約では、当初は、被控訴人が本件建物の賃借人、居住者を全部退去させて引き渡す約定であったが、被控訴人の右賃借人らに対する立退交渉が進展せず、正田も本件建物の一部に居すわって明渡しに応ぜず、正田との間では訴訟提起も予想されるような状態になってきたこと、このため、被控訴人と控訴人は、昭和六二年六月三日、当初の売買契約の内容を一部変更して、被控訴人が一億二四三八万円の残代金を免除する代わりに、本件土地建物の問題(主として念頭におかれていたのは明渡問題)は控訴人の方で処理することにし、「被控訴人は現状居抜きのまま引き渡すものとし、控訴人は本件土地建物上の権利関係について後日被控訴人に責任を追及しない」「控訴人は、現在本件土地建物に関して被控訴人と正田との間において訴訟中であることを認識するものとし、被控訴人の訴訟維持に協力する」などと記載した合意書に調印したこと(ただし、右記載の訴訟は実際には提起されていなかった。)、その後控訴人において本件建物の賃借人や正田と接触したところ、前記のような正田の権利主張の態度がはっきりし、他の賃借人もこれを理由に控訴人に対する明渡し及び賃料の支払を拒絶し、結局、正田の相続人から前記の抹消登記請求訴訟が提起されるに至ったものであることが認められる。

右認定の経過に照らすと、右合意書の調印の時点においては、正田が前記のように具体的かつ強硬に権利主張をしてくることが明確に予見されていたわけではないにしても、紛争の端緒があらわれていた正田の関係を含めて本件土地建物の問題から被控訴人が手を引くという趣旨で右合意がされたものであり、少なくとも、今後正田の権利主張がないことを被控訴人において保証したとか、あるいは正田の権利主張を被控訴人の責任で排除することを約したと認めることは困難である。

他に被控訴人が控訴人に対して右のような保証ないし約諾をしたことを肯定するに足りる証拠はない。

したがって、本件売買契約の内容又は趣旨から、正田の前記権利主張がされたことについてこれを被控訴人の債務不履行と認めることはできない。

2  次に、本件の全証拠を検討しても、正田が権利を主張したことにつき被控訴人に帰責事由があるなど、信義則上被控訴人の債務不履行と同視できるような特段の事情があるとは認められない。

3  そうであるとすれば、正田が本件土地建物の所有権を主張し、控訴人の所有権取得を争ったことにより、控訴人の明渡交渉や賃料取得及び転売等の所有権の行使が妨げられ、控訴人が不利益を被る結果になったとしても、それをもって被控訴人の債務の履行が不完全であったことによるものと認めることはできないというべきである。

以上のほかに被控訴人に本件売買契約上の債務の不履行があったと認めることはできない。

四  よって、控訴人の請求はこれを失当として棄却すべきであり、これと結論を同じくする原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 岩井俊 小林正明)

<以下省略>

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